2007/01/18

特別養護老人ホーム

 なんか気が向いたので、ちょいと長文を書いてみたりする。

 年末から正月にかけて帰省していた実家のほうには両親が住んでる。というか住んでた。

 ちょっと前に父親がちょっとした事故で骨折して、入院した頃からおかしくなった。それほど高齢だというわけでもなかったのに、アルツハイマー症状が出始めたらしい。最近の言葉で言えば 『認知症』 ですか。最初は 「家に帰る。」 とか騒ぐ程度で、そのうち自分がどこにいるのかよくわからなくなるという感じで。

 退院してからも一進一退で、普通のこともあれば何かおかしいこともある。せっかく退院したのに台所で転倒して、今度は大腿骨骨折というさらに酷い状態になって再入院。その頃から認知症も進行したっぽい。

 骨折が治ってからのリハビリも本人の気力がなくて進まず、以降は寝たきり、もしくは車椅子で移動の生活になった。車椅子も自分では動かせずに母親が押す状態。退院後は自宅に介護用ベッドをレンタルしてもらって、その上で生活してた。

 そのうち、さすがに母親がひとりで面倒を見るのは大変だということで、何とか自宅近く (と言っても徒歩圏じゃない) の特別養護老人ホームに入ることになった。そこがまた立地場所がよくて、景色が素晴らしい。海に面したちょっとした山の上にあって、南側には駿河湾、西側には川。何度か訪問したけれど、自分も人生の最後にはこういうところで過ごしたいな~と思えるような場所だった。

 そうなると母親はひとりで実家に住むことになる。しばらくすると 「ひとりだと淋しい。」 って言い出して、父親を実家に引き取ることにした、って連絡が来た。

 父親を実家に戻したのはいいけれど、その頃には認知症がさらに進んで大変だったみたい。オムツを替えようとすると暴れるとか、夜中に近所の人の協力を仰ぐこともあったとか。手をベッド脇の柵に縛りつけたりして…。調子がいい時とと悪い時があるらしく、毎日一緒にいる母親すら誰だかわからなくなることもあったらしい。そんな時は 「情けなくて…。」 って母親が泣きながら電話してきたり。

 息子である自分がたまに実家に帰っても、認識されないことのほうが多くなった。「村の若い衆」 とか言われたよ…。なんだよ、村って。いつの時代だ?

 そのままだと母親のほうがおかしなってしまいそうなので、もう一度特別養護老人ホームにお世話になることにしたものの、希望したらすぐに入れるというわけじゃなく、今どきは順番待ちになってる。

 ようやく入れた前回とは別の老人ホーム。そこは海の近くじゃないけれど、やっぱり風光明媚な場所だった。昨年の夏に書いた この記事 の写真、実は父親が入った特別養護老人ホーム付近から撮った写真。親孝行者とはとても言えない自分だけど、実家に帰るたびに顔を見せに行くようにしてる。

 昨年末に伯父、つまり父親の兄が亡くなって葬儀があった。もちろん父親は参列せず。遠くに住んでる親戚が集まるのはそういう機会しかないので、皆さん父親に会いに行ってくれた。父親のほうは誰が来たんだかわかってないかもしれないけどね…。

 父親の兄弟は7人。次々に亡くなって、今残っているのは父親と妹のふたり。その妹、つまり自分にとっては伯母にあたる人は、昔からお世話になっているホントにいい人で、伯父の葬儀のときも火葬場の待ち時間にふたりでベンチに座っていろんな話をした。 「残りはふたりになっちゃって、片方はボケちゃってるし、もう片方もどうなるかわからないし。」 とか言ってたけれど、うちの父親はともかくせめて伯母には長生きして欲しいと思ってる。そうじゃないと、自分が頼れる人がいなくなっちゃう。

 この正月にも父親のところへ行ってきたよ。相変わらず自分の息子すら認識できないっぽいんだけどさ…。自分が知ってる父親は、どちらかというと肉体労働系の仕事をしてたから小柄ながらもガッシリしてたのに、今はもう骨と皮だけ、ってな感じ。それが 「歳を取る」 ってことなんだよね、きっと。

 「日本の高齢化社会」 は人ごとじゃなくて自分にとっては身近な話。父親をどこか海外へ旅行に連れて行きたいと思っていたけれど、今はもうかなわない。「親孝行、したい頃には親はなし」 とはよく言ったもので、後悔しないうちに親孝行はしておくほうがいいですよ。本当に…。

Posted at 01:26:26 | 長文読み物 | コメント:4 | トラックバック:0

2005/11/11

入院の思い出

 いつかは書こうかと思ってましたが、昨日の記事つながりということで…。
でも正直、ここのブログでは知的でクールで、ちょっとシニカルなじぇふでいようと思ってたんですが、昨日の書き殴り記事でちょっと地が出ましたね…。いつもはそこそこ考えながら記事を書いててそれなりの時間がかかってたりしたけど、昨日のヤツは長文のわりにあっという間に。うーん。考えもんだな…。

 今から3~4年くらい前に急に咳がひどくなって、病院に行ったらなんと 「喘息 (ぜんそく)」 と診断された。「完璧な喘息」だそうで。子供の頃は全然何ともなかったのに、大人になってから突然、ですよ。びっくりした。家でハムスター飼い始めた時期で、噂の「ハムスター喘息」ってやつかもしれない。そんなわけで、薬を飲んで喘息の発作を抑える生活が始まったわけです。

 2002年の年末から2003年の年始にかけて、実家に帰省している最中に薬がなくなったんだけれど、症状は軽くなっていたので大丈夫だろうと軽く考えてた。でもそのうちに夜も寝ていられないひどくなっちゃって、八王子に戻ってからもどうにも治まらなくて、こりゃヤバいかもと病院に行った。忘れもしない2003年1月4日。

 診察受けたら、医者が 「これはマズいんで、すぐに入院しなさい。」 って言うんですよ。生まれてこのかた大きな病気はしたことがないし、もちろん手術もしたこともなければ骨折さえしたことがない。入院するくらいなら死んだほうがマシ、みたいに考えてたんでショックだった。

 安静にしていろということで診察が終わったあとも空いている診察室のベッドの上でおとなしくしてて、ナースが入院の手続きの話をしてくれてたわけですが、そこで必死に抵抗しましたよ。
「家で絶対に安静にしているから入院だけは勘弁してください。」
「ちゃんと毎日通院します。入院しなくてもいいなら何でも言うこと聞きます。」
「ね?お願い。入院だけは…。とにかくダメなんです。絶対に無理無理。」
マジで大人げないとは思いますが、それほどイヤだった。
そうしたら看護師さん、医師を呼びに行って、連れてきました。すいません…。ワガママ言って迷惑かけてるのはわかってたんですけど…。

 先生も大変紳士的な態度でいろいろ説明してくれて、最終的には 「あのね、喘息の発作をナメたらいけませんよ。死ぬんですよ? 毎年大勢死んでるんですよ? あなたも次の発作で死ぬかもしれないんですよ?」 とまで言われて観念しました。03-01-05_07-59.jpg

 とにかく安静にしてないとダメということで、自分で歩けるのに車椅子に乗せられ、いくつかの検査をした後で病室に…。こうして急転直下の強制入院となりました。結果的にはそれほど長い入院生活にはならず、旅行で言うなら三泊四日で帰れたんでよかったんだけど、やっぱり退屈だし窮屈だし好きなこともできないし食事も期待できないしラーメンも食えないし酒も飲めないしで苦痛だった。右の画像は食事を昔の携帯で撮ったもの。
で、まぁなんかの思い出にということで、PDAにその日の出来事を書いてました。長いし見づらいですが、そのままコピペ。一部、伏せ字にさせてもらってます。

闘病生活日記 ('03/01/04-)
03/01/04
クルマでXX病院へ。一般撮影胸部・腹部、CT (XX→機種名) でのHelical。
11:00にはベッドへ。点滴3本。昼食抜き。午後XXがお見舞い。夕食は5時、ブリ照り・卵焼き・かぼちゃの煮たの・得体の知れない食べ物。夜XXさん、XXのお見舞い。終日点滴、トータル点滴数5本。消灯9時。夜眠れず。

03/01/05
6:00AM
起床。体重測定62kg。調子がよくなってきたら夜の点滴はなし。入院1週間も不要か?ただし食事ができるようになることが条件。
点滴1
袋にはソルマルト、裏面の記載は
  ネオフィリン1A
  ソルメドロール125g
  日中キープ
6:00AM
朝 パン2枚、牛乳、スクランブルエッグ、黄桃?、キャベツ
10:00AM
点滴2
袋には生理食塩水、裏面の記載は
  ペントシリン1g
夜の点滴なしが確定。明日主治医が決まるらしい。多分XX先生。
12:00PM
昼 サケ・タルタルソース、コーン、トマト、とろろ、大根の味噌汁
昼前にXXさんお見舞い、PC着。
3:00PM  XXさん見舞い
点滴3
袋には生理食塩水、裏面の記載は
  ペントシリン1g
5:00PM  XXさんお見舞い
6:00PM
夜 鳥、人参、葉っぱ、ヨーグルト、オレンジ
7:00PM  XXさんお見舞い、みかん持参
点滴取れた。

03/01/06
5:00AM  本日の血液検査用に血を抜かれる。以降眠れず。
8:00AM
朝 ししゃも、味噌汁、牛乳、他
9:30AM  朝のタオルで勝手に着替えたが、この時間にちゃんと着替えの声を掛けられた。
9:40AM  なぜか再度レントゲンを取った。胸部のみ。戻ったら点滴の準備ができていた。
10:00AM  XX (→ナース名) さんが点滴。
ソルアセトD  日中キープ
袋には生理食塩水、裏面の記載はPIPC 1g
12:00PM  昼 カレー
主治医の説明、自宅療養を条件に明日午前に退院決定。来週の3連休の後に出社しろとのこと。
3:30PM頃 XX、XXさんお見舞いに来た。
4:30PM
点滴3
袋には生理食塩水、裏面の記載はPIPC 1g
XXさん面会に来た。
6:00PM 晩 豆腐の煮物、春菊の胡麻和え、みかん
点滴取る。
7:30PM  XXさん帰る

03/01/07
5:00AM  立て続けに2人の入院患者あり。2人目はECG付き。
8:00AM  朝 ぶどうパン、野菜スープ、牛乳、黄桃
940AM  最後の点滴開始。
袋には生理食塩水、裏面の記載は
  ペントシリン1g
10:15AM  点滴完了。会計もできたそうで。帰り支度開始。

---- 以上 -------

 こうやってあとで読み返してみると、日記を残しておいていい記念になったなーと思います。皆さんも入院するチャンスがあったらぜひどうぞ。

Posted at 02:03:32 | 長文読み物 | コメント:0 | トラックバック:0

2005/11/10

要再検

 ちょっと聞いてくださいよぉ。今日はですね、かな~り凹んでます…。はぁ~。

 夏頃、会社で定期健康診断があったんですよ。1ヶ月くらい前に結果が帰ってきてて、1項目だけ 「要・再検査」 ってやつがあったんですよ、便潜血ってやつ…。2日間の便を採って提出すると調べてくれるんですよね。で、2つのうちの1つが陽性だって。潜血があるってことは消化器系に潰瘍か癌がある可能性があるらしいっすね。まぁ2つのうちの1つだし、何かの間違いということもあるだろうし、いつものように気にもせずほっぽってあったんですよ。

 昔ね、人間ドックってやつに行ったことがあって、その時にも結構ヤバげなやつが2つくらい見つかって、さんざん検査をしたあげく最終的には 「どっちも問題ないですね。」 ってことになって、なんかもうバカバカしくって。今回もバックレて過ごすつもりだったんですよ。

 昨日会社の医務室に行く機会があったんですけど、医務室の看護師のおばちゃんとは仲良しなんでいろいろ話をしてて、再検査の話をカミングアウトしちゃったんですよね。そしたら毎週水曜日に来ている産業医の先生と話をしろ、ってことになっちゃったんですよ。「もし夕方5時までにじぇふさんが会いに現れなかったら席に電話するからね!」って言われて。まぁ仕方ないんで、行ってきましたよ。えぇ。

 でね。先生と話をしたらですね、いきなり 「大腸癌の可能性がありますから、お尻からバリウム入れてX線撮影するか、大腸カメラ入れて検査しましょうね。」 とか、にこやかにおっしゃりやがるんですよ、これが。さすがにこの急展開にはビックリしましたよ、えぇ。2回に1回、潜血があっただけですよ?バッターで言うなら、ピッチャーが投げたボールを1回はヒット、惜しくも1回空振りしたら、「お前のバッティングはおかしい。ファームに行ってちゃんと調整してこい。」って言われたようなもんじゃないですか。5割打者ですよ?自分。

 なんで、「ちょ、ちょっと待ってください。1回潜血が出ただけでそこまでの検査をするんですか!?」 って聞いたら 「いや~大腸癌は 1回でも潜血があったらちゃんと検査するべきだ、というのが今の医学の常識なんだよね~。」 とか、これまたにこやかに言い放つわけですよ。えぇ。なんでも今の日本人はすごく大腸癌が多いんだとか。先生に言わせると、バリウムを口から飲んで胃のX線撮影をするよりは大腸癌の検査したほうがいいんだよね~ホントは、だそうで。

 それでも肛門からバリウム注入もしくは大腸カメラ挿入って、すんごく敷居が高いじゃないですか。私生活でもそういうプレイはしたことないわけですし。食い下がりましたよ、えぇ。こっちも必死ですから。「もっとちゃんと検査してからじゃダメですか?」 相変わらず先生はにこやかに、「うん、そういう人、多いんだよね~。じゃ、もう4回、便とってきて調べましょ。それで1回でも潜血出たら検査ね。」 ですと。

 わかりますか?これからは4球投げられたボールを、全て打ち返さなきゃならないんですよ?空振りは許されない、通算したら 6打数 5安打じゃないとダメ、8割3分3厘の打率を要求されてるわけですよ、えぇ。あり得ないでしょ、そんなの。1回くらいは空振りするでしょうよ、きっと。なんかそんな気がするんですけど。

 まぁそんなわけで打ちひしがれて自分の席に戻ったわけですが、運がいいんだか悪いんだかわからないんですけど、じぇふの席の近くにですね、先週末に長浜らーめんのちょっと南にある病院から退院してきた人がいてですね、入院中に「肛門からバリウム」の検査を経験したそうなんですよ。そこで彼はニコニコしながら、その検査がいかに人間としての尊厳を失わせるものかを詳しく話してくれるんですよ。チューブみたいヤツを入れて、抜けないように中で膨らませるんだとか、バリウムが注入されるのがわかるだとか、体勢をいろいろ変えさせられて、チューブが抜けないように看護師さんが持っててくれるだとか。で、それだけじゃなくて、もうひとり近くに経験者がいたんですよ。そちらからもいろいろ話を聞かせてもらえちゃったりするんですよ。あーイヤだイヤだ。挙げ句の果てに、退院したてのヤツが、「あー、オレ大腸癌の検査についての小冊子をもらったんで、じぇふさんのために持ってきますよ。」 なんて傷口に塩をすり込むようなことを言いやがるんです。まったくもう。

 でもなんかね、その病院、新しいだけのことはあって、ベッドのとこまでネットワークが来てるそうですよ。もしも、えぇ、もしも、ですよ、検査の結果何か見つかっちゃって入院するようなことがあっても、ネットサーフできて退屈はしないかなぁと。ブログもバリバリ更新できるし。しかも、看護師さんは若い女性ばっかりらしいんですよ。彼も入院する前はすげーイヤがってんですけど、退院した今は 「入院、サイコー!」 とかほざいてます。えーと、取りあえずじぇふも潜血があったらそこの病院に行きたいと思ってます。もしも入院するようなことになったら、ここのブログは 「じぇふの看護師 (女性限定) 観察日記」 にタイトルが変わります、きっと。ちゃんとしたデジカメ持ってかないとね…。

 まぁそれはともかく、やっぱり検査はイヤなんですよ。入院はもっとイヤだし。入院決まったら七輪と練炭買って、クルマで人気のない山奥にでも行こうかと思うくらい…。あーあ。

 あー、もう書き殴っちゃって無駄に長文になっちゃった。とにかく凹んでるんで、今日は推敲もせずに、っていうかいつもはしてるのかよ!って突っ込まれそうですが確かに大してしてないわけで、もうなんか支離滅裂ですね、とにかくこのまま投稿しちゃいますよ、えぇ。
 これってカテゴリーは長文読み物にしといたほうがいいのかなー。と投稿前に気が付いた。別に読み物になってないんですけどね…。

Posted at 01:03:58 | 長文読み物 | コメント:5 | トラックバック:0

2005/06/20

宗教

 数年前に、父方の叔母が亡くなった。叔母の旦那さんは早くして他界していたから母子家庭で3人の子供達を育て上げたのだけれども、とても華奢なひとだった。3人の子供達、つまり自分の従兄弟にあたる人達は、自分より年上と年下の2人が男、末っ子は女の子。年上と言っても長男のNは自分とは1歳しか違わなくて、当時住んでいた場所も近かったこともあって子供の頃はよく一緒に遊んでいた。

 さて通夜に参加した時に、この家族が某宗教団体の熱心な信者だったことを初めて知った。通夜も葬儀も僧侶はおらず、背広姿の導師?とか呼ばれる人が読経していた。祭壇に近い席は全てその団体関係者に占有されいて、それほど広い家でもなかったので叔母の血縁者、例えば実の兄弟も一番後方の隅に座るしかなかった。長男Nは前のほうに座って、全て暗記しているらしいお経を唱えてた。それまで知らなかった一面だった。儀式は団体関係者には周知らしい一連の流れに則って行われた。お経にしてもどこが導師ひとりが唱え、どこから他の人が参加するかみんな知っているらしく、一糸乱れることのない素晴らしく統率されたものだった。血縁者や故人と親しかった近隣の人達を全く置き去りにしたままで・・・

 叔母は、とある日本の伝統芸能のお師匠さんをしていたようで、その教え子達は出棺の際に叔母から教わった自分たちの芸を披露しながら見送るつもりだったらしい。ただ前述したように団体関係者で占められた家の中には入れるはずもなく、急遽家の前の道ばたにゴザを敷いて泣きながら芸をして叔母を見送っていた。あっという間に通り過ぎる叔母を。

 さすがに親類の何人かはこの葬儀はひどすぎると立腹していた。確かに自分にとってもこんなおかしな葬儀は初めての体験だった。


 今日の朝10時頃、突然Nが家を訪ねてきた。自分も実家から離れて住んでいて彼とは年賀状のやり取り程度はしていたからここの住所は知っているだろうけど、今まで訪ねてきたことなど一度もなかったのでとても驚いた。Nの家はここからは200kmくらい離れているし、うちの電話番号も知っているはずだから前もって連絡するのが普通だろうし。休日なのでまだパジャマ姿だったので急いで着替えて出て行った。

 Nは見たことのない初老の男性と一緒だった。イヤな予感が当たったかな、と思った。
「東京に来たから寄ってみたんだけど・・・」
「今日は選挙のお願いに来たんだ。」
Nは立候補者の顔写真入りパンフレットみたいなものを持っていた。
ひとりの候補を指さしながら、
「この人にぜひ投票して欲しいんだけど。」

 初めて訪ねて来たと思ったら、そういう用事か。幼い頃から一緒に遊んできた仲だし、他にいろいろ話もあるだろう?そういうのは一切無しに、選挙のお願いか?ウンザリするとともに、多少キレて答えた。
「選挙に行くことがあったとしても、その人に投票することは100%ない。絶対に入れない。」
「それから悪いけどそういう用事で二度と来ないでくれないか。」

 Nは何も言わずに帰って行った。

Posted at 01:00:14 | 長文読み物 | コメント:0 | トラックバック:0

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